陽明学者であり、1945年8月15日の「終戦の詔書(しょうしょ)」いわゆる玉音放送の草案に加筆補正されたことでも知られる安岡正篤氏が埼玉県の嵐山町に創立した日本農士学校。その跡地に、平成3年、安岡正篤記念館が設立されました。生い立ちから学生時代、日本農士学校時代、戦中戦後の秘話、戦後の全国師友協会時代の資料などを保存し、安岡正篤氏の足跡を知ることのできる場所となっています。